2013/04/21

インタフェースデザインの私的デザイン史

1979年、私が家電メーカーに入社しデザイン部門に配属された時、グループ企業含めて500名近くいたデザイン職能組織に「インタフェース」の名前の付いた部門はありませんでした。デザイナーは、ほとんどがプロダクトデザイナーと言ってよい状況で、パッケージデザインや製品のグラフィックデザイン、ロゴデザインについてもプロダクトデザイナーが行っていました。
もちろん、「インタフェース」という言葉が使われていなかった訳ではないように思いますが、ほとんどの場合は機器と人間との間のインタフェースであり、人間工学の一分野だったのです。

この頃、私が担当してテレビでは、本体の画面上に出てくるチャンネルや音量表示(オンスクリーン表示)をリモコンで操作することが一般的になり、ニューメディア(当時はそう言われていましたが、今で言うマルチメディアか)の到来とともにテレビが多機能化し、オンスクリーン表示とリモコンの関係がユーザーにとって使いにくい状況を生み出していました。この状態は今も続いていますが。

1984年、そんな時に現れたのがMacintoshの128Kでした。その画面のGUIを見たとき時代が変わるのを感じました。それ以前に「Lisa OSは、パーソナルコンピュータ初のGUI環境のOSだった」(wikipedia)訳ですが、一般に与えたMacintoshの衝撃は大きかったはずです。個人的な話ですが、会社の研究所に棚に置きっぱなしになっていた128Kを見つけてきて、上司を説得し固定資産の移管手続きをしてデザイン室に持ち込んだのは私でした。

それから何年か経って、既にMacintosh使いで知られていた川崎和男さんに手紙を出したことからお付き合いが始まり、オンスクリーン表示とリモコンに関するデザイン提案をお願いしました。その先進的なコンセプトは先進的であったがゆえに製品化することができませんでしたが、今でも素晴らしい提案であったと思っています。

1999年、ドコモがiモードをはじめた時に、携帯電話のデザイン担当になりました。携帯電話がインターネットに接続されるようになり、画面のサイズとカラー化、高解像度化が進み、プロダクトデザイナーが片手間に画面デザイン(GUI)を行っていけるレベルではなくなりました。機能の進化は画面遷移を複雑にし、GUIは独立したデザイン業務となっていったのです。