2014/10/19

私的神話その2・SONY プロフィール

デザインには、神話的な誕生秘話がつきものです。

井上円了が「歴史はその時つくられる」と言ったように、実際にあったことでも後々受け取った人が心地ようように変容するものです。

SONYプロフィールについては、いろんな書籍、雑誌等でSONY発信としても語られていますが、そのほとんどは、1982年発行の『SONY Boilerhouse project 図録』の内容が初出のようです。

そこには、盛田氏から黒木氏へ、以下のようなメモが渡されたとあります。1978年のクリスマスのことだとなっています。

「黒木君へ
計画書は
従来のVideo Disc, ・・・・etcまで
飛躍しているが
それ以前に
TVを各種サイズモニター 各種Tuner Amp Speaker の組合せとし
次第に、TVをCompo化する方向へもって行ったら?
System Compoとして、特約店の意思でどの値段にもなし得る様にする」

1982年、テレビのデザインをはじめたばかりの私は、この内容を読んで、ただただ「凄いな・・・」と、「デザイン開発にはドラマがある・・・」と、憧れたものです。

そして、当時の給料からすると無理をして、16インチのプロフィールKX-16HF1を購入しました。テレビのメーカーに勤めている社員が他社の商品を買うのは如何なものか?との声も聞こえてきましたが、私としては、目指すべき目標を身近に置きたかったからです。

16インチのプロフィールは、私の風呂もない安アパートには不釣り合いに輝いていました。


『SONY Boilerhouse project 図録』1982より

2014/10/13

私的神話その1・SONY プロフィール

 1980年3月、松下電器に入社して1年間の長い研修期間を終え、やっとテレビ本部デザインセンターに配属が決まり、さあデザインができると意気込んでいた頃です。

 1980年代にデザインに関わっていた人、特にテレビ受像機のデザインに関わっていた人にとって、衝撃的な出来事が起きました。

 「PROFEEL」の発売です。

 多くの人は、「profile」だと思ったことでしょう。しかし、すぐに「プロのフィーリング」であると知って、ソニーらしいな、やられた、、、ソニーデザインが輝いていました。

 3月4日、5日、6日の新聞広告では、デザインの造形コンセプトを「ブラウン管だけお売りしたい」、デザインのバリエーションが可能であることを「変貌できればいつまでも新鮮だし飽きてしまうこともない」、そしてモニターであることを「いろんな機器と自由な組合せができたらとても便利だ」とアピールしました。

 その後の各社のデザインの動きは、「PROFEEL」に習えとばかりにモニタースタイルに舵がとられました。「PROFEEL」は異端ではなく、次の主流になると誰もが感じたからです。

 テレビ受像機のデザイン変遷を辿ってみると、「PROFEEL」は突然変異的に出てきたのではなく、またソニーだからできたのではなく、生まれるべくして生まれたと思われます。

(つづく)