2014/11/04

私的神話その3・打倒プロフィールプロジェクト発足

1984年の秋、当時の松下電器テレビデザイン部門には60人以上のデザイナーがいました。デザインの必要性は担当する製品の市場規模に相関します。それだけ重要な製品だったのです。

まだ、ブラウン管の時代でしたから今よりは造形に関わるデザイン要素は多くありました。ニューメディアも騒がれていましたし、インテリアの要素として、小物雑貨として、車載機器として、様々なデザイン提案がされていました。

生活提案は、今のユーザーエクスペリエンスデザイン以上に活発な活動でした。日本全体が元気だったのかもしれません。

今は全てがスマホで完結していますが、1980年代は、AV機器のデザインが元気でした。ソニーがヘッドホンステレオでウォークマンを発売し、ラジカセは様々なデザインがひしめき、ピュアオーディオも元気でした。それに加えてビデオデッキ、ビデオムービーとユーザーが欲しくなる商品が次々に出てきていました。

当時、テレビのデザインを担当するデザイナーとして目指していたのは、プロフィールを超えるデザインをすることでした。ソニー以外の会社で働くテレビ担当のデザイナーは同じ考えであったと思います。ソニー内でも同様だったかもしれません。

そんな時に、デザインセンター所長が、打倒プロフィールのプロジェクトをスタートさせたのです。期間は3ヶ月、その間はライン業務から外れて活動をする。方法は問わない。と言うものでした。

そして、翌年商品化されたのが、アルファチューブでした。


雑誌『popeye』1985年11月号にメンバーが紹介される

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