2014/01/26

ペコちゃんの模倣と創造

最新号の『NIKKEI DESIGN』に不二家のペコちゃんが「ロングセラーパッケージの秘密」として取り上げられている。milkyとともに60年以上、愛されているキャラクタだ。掲載の内容を見てすぐに思いだした。そう言えば、誰かが「ペコちゃん疑惑?」をFBで紹介していた。

発信元のブログを探り当てて読んでみると、どこまで確かかは検証していないが、どうもそうらしい。ペコちゃんの顔は、どう見てもバタ臭い。日本人が描いた女の子ではないなと思う。
http://mugendai2.hatenablog.com/entry/20100617/1276731910

ペコちゃんが生まれたのは、milkyが発売された1951年の前年らしいが、それより前にBIRDS EYEと言う米国の食品メーカーがオレンジジュースの宣伝にMerryと言う女の子をキャラクタとして使用していたらしい。当時の雑誌広告も残っているので確かであろう。

では、何故、不二家はMerryそっくりのペコちゃんをつくったのだろうか?不二家のホームページでは、銀座の店頭マスコットとして作られたのがはじまりであるとしている。しかし、もちろん、真似たとはどこにも書いていない。

そこで、いくつかの仮説を考えてみました。

ひとつは、社史によると不二家は大正時代から洋菓子研究のために米国視察に行っており、当然、戦後においても米国の食品情報は入手してきただろうから、その中でMerryを知った。

ひとつは、不二家のロゴはレイモンド・ローウィ事務所が行なっていることから、ローウィが来日した1951年前後からブランドやキャラクタについて北米の状況を見ていて、Merryを知った。

ひとつは、担当したデザイナー(だれがデザインしたかは分からない)が、アメリカかぶれで、GHQの払下げでもらったBIRDS EYEのオレンジジュースにMerryキャラクタがあった。

いろいろと夢想するのは楽しいものですが、どの仮説も当時の知財に対する意識の低さから起こったことでしょう。しかし、ビジネス上の知財権議論は別にして、ペコちゃんのキャラクタデザインは日本人に受け入れられて文化の一面をつくってきたと言えるだろう。デザイン文化史的な視点からは、模倣もひとつの創造である。

それよりも、デザイン誌としてペコちゃんの表情の変遷などにも言及する記事「多彩に変貌したペコちゃん」を書くのであれば、もう少し、突っ込んで調べて欲しいものである。

記事では、「不二家は1934年に発売した「フランスキャラメル」のパッケージで、リアルな外国の少女のイラストを使っていた。これよりも対象年齢が下のミルキーは、もっと単純で分かりやすい絵柄にしたいと考えた。また、戦前からディズニーやベティーちゃんなどの漫画的なキャラクターは広く知られていた。こうしたことを背景に、ふっくらとしたほっぺに舌を出した「ペコちゃん」のキャラクターが誕生した」と記述している。

この記事自体は、ペコちゃんの模倣についての真偽を問うものではないが、ネットで簡単に、ある程度のことは知ることができる時代だけに、紙媒体の雑誌は、独自取材を基にした批評、論評も含めて記事にして欲しいと思う。
 

 
今日、買ったミルキー
 
 
BIRDS EYEのMerry
 
 
 
 この件の著作権については、以下に詳しく書かれています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418378944

2014/01/18

デザインは素直な疑問から生まれる

子供の頃は、いろんなことに疑問を持っていたのに、歳とともにいろんなことが当たり前になり、自然に受け入れてしまいます。
疑問はいつしか疑問でなくなり、その時代と地域にとっての常識となり、伝統になり、文化になる面があります。
私たちは、日常生活の中での経験的な認識の積み重ねで、「良い・悪い」「好き・嫌い」の判断基準を身に着けていくのでしょう。

しかし、身に着けた判断基準が、時として新しい発想の障害になることもあります。

子供の頃の疑問は素直であり、いろんな可能性を持っています。 

「なぜ、日本人は箸をつかうの?」
「それはね、昔からしかっていたからだよ」
「なぜ、ナイフとフォークを使わないの?」
「日本では、昔はお肉を食べなかったからだよ」
「でも、ボクはお肉食べるときも箸だよ、なぜ?」
「ママが切ったお肉を出すからだよ」
「なぜ、ママは切ったお肉を出すの?」

際限のない疑問「なぜ」が続くことから、新しい発見が見つかるのは、デザインのプロセスでも同様です。デザイン思考とは、素直な心になって、幼い頃に持てる疑問を再発想できるようにすることかもしれません。

デザイン開発には観察が必要であり、重要であると言われて久しいが、大切なのは「なぜ」の繰り返しを何度できるかではないでしょうか。

在り来たりな観察からは、創造的なデザインは生まれません。

「なぜ」を繰り返すことで、創造的な観察をしたいものです。

2014/01/11

メディアの取り上げるデザイン

2014年1月9日木曜日、朝日新聞夕刊(関西版)の一面に「家電 見た目勝負 デザイナー主導 操作性も追求」(記者:福山亜紀)の記事が掲載されました。何故、このような題目の記事が新聞の一面に掲載されたのか。メディアが扱うデザインの意味について考えてみたいと思います。

前提として、
1)新聞記事は記者が書いたものですから、その記者に因るところが大きいと思いますが、編集会議を経て掲載されるのですから新聞社の考えに沿ったものです。また、新聞は大衆に向けて情報を発信するマスメディアですから、記事内容はその時代の大衆を対象にしています。
2)私は、色・形で対象を表現できない人はデザイナーとは言えないと思っています。コトであれ、モノであれ、どんなデザインであっても、言葉だけで完結することはなく、色・形を創造する表現行為が伴うものと認識しています。

この記事題目で、私が気になったのは、「見た目勝負」「デザイナー主導」「操作性も」です。新聞記事にとって題目は、商品コンセプトであり、キャッチコピーです。

記者は取材内容から、日本の家電メーカー各社の製品は、「技術力に溺れ、不要な機能をてんこ盛りしがち」である。その打開策として「デザイナーを開発の中心に据える」ことで、「格好も、使い勝手もいい家電」を作ろうとしている、としています。「技術力に溺れ、不要な機能をてんこ盛りしがち」とは、言葉を換えると「技術力を活かし、多様な潜在ニーズに応える」ということです。「デザイナーを開発の中心に据える」とは、言葉を換えると、「経営者はデザインに関心がない」というです。「格好も、使い勝手もいい家電」、このフレーズは、昭和30年代から使われていました。技術力は重要ですし、開発の中心は経営者です。ましてや美と用を両立させることはデザインそのものです。

上記のきっかけとなったのは、海外メーカー(サムスン)の攻勢であり、対策は海外で学んでくること、としています。他に学ぶことは常に大切ですが、ここには内容よりも舶来重視の大衆迎合が読み取れます。日本の文化、伝統に学ぶことも同じように必要であることは明らかです。

「脱スペック競争」を推進できたのは、社内におけるデザインの立場向上であり、軽薄短小をミリ単位で実現してきた「意味のない競争をやめ」、商品数を削減しているのは、デザインである、としています。今、テレビ、スマートフォンがサムソン、LGに負けているのは、軽薄短小の技術力です。スペックにおいても勝っているとは言えないでしょう。中国メーカーもすぐ後ろに迫っています。スペックやサイズで競うことは大切です。ここから逃げては強いデザインも生まれません。

事例として取り上げられている3つの製品については、私の知る限り評価に値するものであると思います。「蒸気レス」の炊飯器は、デザイン発想から生み出されたものであり、「見た目だけでなく、使いやすくするのがデザイナーの仕事」であるとの認識が社内にはある、としています。事実は知りませんが、「蒸気レス」は考え方(言葉)としては昔からあったのではないでしょうか。それを実現に向けて推進したのがデザイナーだとしても、実現したのは技術者でしょう。少なくともインダストリアルデザインにとって、技術とデザインは一体です。

日本の家電メーカーは、テレビ、携帯電話において海外メーカーに負けており、法人向け事業を伸ばしている。しかし、消費者に近い家電製品はブランドを高めるために力を入れている、としています。この論理には無理があります。取材された方の発言の断片をとって繋げてはいないでしょうか。結論としては説得力に欠けます。

最近の新聞記事には、必ず記者名があります。取材した場合も実名が出る場合が多いように思います。しかし、編集権限は新聞社にあります。情報は常に切り取られ方で、大衆の受け取る意味が変わります。今回のこの記事が議論のきっかけになれば良いと思います。

 
2014年1月9日木曜日、朝日新聞夕刊(関西版)


補遺
議論は内容について行うべきであり、個人、団体を誹謗中傷すべきではないと考えます。個人、団体名を出したとしても。そのための最適なメディアが、インターネットであろうと思います。なぜなら、異論、反論を直接行うことができ、相手も修正が可能だからです。
以前、ブログの内容について、私にではなく所属する大学にクレームの電話がありました。社会的にもデザイン界でも知られた団体のしっかりとした地位にある方からです。しかも、そのクレームは私に対して圧力をかけることを求めるものでした。大変残念なことです。
私のブログについて、皆さんからの内容に対する異論、反論、批評については、真摯に対応いたします。

2014/01/04

松下幸之助の言葉「これからはデザインの時代」

デザインの世界で語り継がれている松下幸之助の言葉「これからはデザインの時代」については、拙稿『松下幸之助の製品デザインに対する考え方と運営─初期の松下電器におけるデザイン活動に関する研究(1)』(デザイン学研究,2011)で、松下幸之助の考えを真野善一がコピーライトしたものであろうと推定した。真野善一は当時のデザインの置かれている状況の中で、松下幸之助のデザインに対する思いを最大限デザインの開発現場に活かすためにコピーライトしたのであろう。

真野の発言として最も古いものは1960(昭和35)年6月1日の「神代の話のようになったけど社長が羽田に降りたとたんに『これからはデザインや』と言われたという飛行場の話は有名だね。それでかどうかは知らないが、社長から当時の宣伝部の竹岡部長に話がゆき、さらに苗加部長を通して僕のところにきたというわけなんだろうね」である。

その後、いろんな方々によって、伝聞のようにして「これからはデザインの時代」が取り上げられてきた。そして、パン・アメリカン航空機のタラップからハットを持った右手を上げて降りてくる松下幸之助の写真とともに紹介されることが多くなっていった。しかし、この写真は、1951(昭和26)年1月23日発行の社内報『松下電器時報』では、米国への出発風景として載せられている。

事実は、必ずしも内容を伝える上で最適な物語ではない場合がある。

私は、松下幸之助の「これからはデザインの時代」発言はなかったが、この言葉は松下幸之助の考えを言い当てていたものと思う。

歴史はそのときつくられる

歴史は、その歴史が語られるときにつくられてきた。その内容が恣意的であるかどうかは別にして、その内容が聞く側にとって理解しやすいか、心地よいか、で歴史になってきた面がある。