2014/11/23

私的神話その5・Pプロジェクト成功の秘訣

打倒ソニー・プロフィールのデザインプロジェクトは、唐突に始まったのですが、後に私自身がマネジメントをする立場になって考えると、当時の所長以下プロジェクトスタートを受け入れた各室長にとっては、大きな決断であったと思います。

プロフィールが発売されたことで、経営幹部からの突き上げも半端ではなかったと思われます。現業から5名もデザイナーを抜いてプロジェクトをスタートさせることは、企画、技術、工場、営業から見れば、「デザインはいい気なもんだ・・・」ぐらいに受け取られかねません。

しかし、現場レベルで、周辺部署がそんな感じに受け止めなかったのは、プロジェクトチームリーダーの人間性であったと思います。仕事は人間がするものですから、進めるためには理屈以上に人間関係が重要であると教えられました。

そういう意味では、リーダー以下全員がテレビのデザインを日常業務としており、パーソナリティとして関連部署との関係が良い人間ばかりだったのかもしれません。

デザインは、アイデアを生んだら、それを実現するプロセスを進める必要があります。そのためには、技術の協力は不可欠です。と言うか、技術にその気になってもらわない限り製品化できないのです。

このプロジェクトから「アルファ・チューブ」が生まれたのは、技術の力があったからです。あの造形を製品にするには、製品の機構設計、金型設計、そして工場のラインもそれまでのやり方を変えなければならなかったからです。

私たちは、スタートから技術メンバーを巻き込んでプロジェクトをスタートさせました。そして、彼らの共感を得るために活動していったのです。


2014/11/14

私的神話その4・Pプロジェクト始動

1984年11月、打倒プロフィールのデザインプロジェクトチームは5名でスタートしました。60名ぐらいのデザイン組織から5名を現業のデザイン開発から外すことには抵抗もあったと思います。当然、5名には抱えている進行中のデザイン開発もあった訳ですが、退路を断つ意味で、それらには関わるな!との指示でした。言い訳のできない状況に置かれたわけです。

プロジェクトチームの部屋もデザイン室とは別の部屋が用意され、集まった5名はブレストをはじめました。それぞれ、テレビのデザイン開発に日々関わっていながら持っていた思いを交換する中で、それほど時間の経たないうちに、「テレビとはブラウン管だ!」「技術からブラウン管を借りてこよう・・・」ということになりました。

当時、市販されているテレビの最大画面サイズは28インチでしたが、ちょうど29インチの非球面フラット画面のブラウン管が開発中でした。

プロジェクトルームに持ち込んだブラウン管をフロアに置いたとき、みんなの抱いた感覚は、「美しい」ということでした。毎日のようにテレビのデザインを考えいながら、製品の画面としてのブラウン管は日常的に見ていながら、裸の状態でブラウン管を見る機会はそんなになかったのです。

そして、床に置いたブラウン管に対面するかたちで私が床に座ってテレビを観ている姿をとったところ、全員から「それだよ」との声が出たのです。

デザインコンセプトが決まり、後は「床に置いたブラウン管」を如何にして造形し、製品にするかでした。



2014/11/04

私的神話その3・打倒プロフィールプロジェクト発足

1984年の秋、当時の松下電器テレビデザイン部門には60人以上のデザイナーがいました。デザインの必要性は担当する製品の市場規模に相関します。それだけ重要な製品だったのです。

まだ、ブラウン管の時代でしたから今よりは造形に関わるデザイン要素は多くありました。ニューメディアも騒がれていましたし、インテリアの要素として、小物雑貨として、車載機器として、様々なデザイン提案がされていました。

生活提案は、今のユーザーエクスペリエンスデザイン以上に活発な活動でした。日本全体が元気だったのかもしれません。

今は全てがスマホで完結していますが、1980年代は、AV機器のデザインが元気でした。ソニーがヘッドホンステレオでウォークマンを発売し、ラジカセは様々なデザインがひしめき、ピュアオーディオも元気でした。それに加えてビデオデッキ、ビデオムービーとユーザーが欲しくなる商品が次々に出てきていました。

当時、テレビのデザインを担当するデザイナーとして目指していたのは、プロフィールを超えるデザインをすることでした。ソニー以外の会社で働くテレビ担当のデザイナーは同じ考えであったと思います。ソニー内でも同様だったかもしれません。

そんな時に、デザインセンター所長が、打倒プロフィールのプロジェクトをスタートさせたのです。期間は3ヶ月、その間はライン業務から外れて活動をする。方法は問わない。と言うものでした。

そして、翌年商品化されたのが、アルファチューブでした。


雑誌『popeye』1985年11月号にメンバーが紹介される